マラソンの瀬古さんの事を知って、ランナーの神髄に迫ろう!

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1970年代後半から1980年代にかけて、マラソンランナーとして、
日本の陸上界をリードし、また、近年はマラソン解説者や指導者と
しても有名な瀬古利彦氏。
著書「すべてのマラソンランナーに伝えたいこと」の中で、
「マラソンは練習と生活を律して積み重ねていけば、
かならず走れるようになる」と
書いています。
ーなるほど、思い当たることが大いにあります。

現役時代は、「走る修行僧」との異名をつけられるほど、
練習漬けの日々だったそうです。そして、日々の生活自体も
マラソンを中心に考えて、通常、電車で行くところも
徒歩やジョギングするなど、やれることはなんでもやるという
考えだったようです。
著著やインタビューなどでは、
強くなろうと思ったら、人と同じことをやっていたら
強くなれませんから。人と違うことをやるから人に勝てるんです。
同じことをやっていたら、素質のある人に絶対に負けてしまいます。
というようなことを語っていますね。
もともと、走る素質が違う、エチオピアやケニアの選手に勝つため
には、相当の走り込みが必要と考えたんでしょうね。
月間 800~1000キロ走るなんて、一般人からは考えられませんね。

最近の若いアスリートに、瀬古さん流のやり方はさすがに
取り入れられないとは思いますが、
「日々全てトレーニング」という考え方は大いに参考になります。
駅のエレベータやエスカレータを使うことなく、
階段を使うこと位しか、実践できていませんが(汗)

通勤ランや1駅または2駅手前で降りて歩くのは
是非取り入れてみたいものです。

瀬古さんと言えば、瀬古ロードと呼ばれる、
ランニングコースがあります。
大学に入学した19歳から現役を引退した32歳まで、
明治神宮外苑の周回1.3キロのコースが練習場所に
していたそうです。
先日、サブ4を目指す人向け週末練習会にて、
本コースを5周走りました。周回コースですが、
変化に富んで、なかなか良かったです。
春には桜並木、秋には神宮外苑のイチョウ並木の
沿道の季節感も感じながら、必死に走っていたんでしょうね~

現在は、日本陸上競技連盟の強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー
として、東京オリンピック2020で、日本選手が勝利できるよう
多面的にサポートしています。

特筆すべきが、
マラソン日本記録「突破」報酬制度で、1億円のボーナス授与ですね。
国内・海外問わず日本陸上競技連盟が公認する大会で、
日本記録を超えた場合、褒賞金が支払われる制度です。

2018年の東京マラソンで、16年ぶりに男子マラソンの日本新記録を出した
設楽悠太選手と、
その半年後に記録をさらに更新した大迫傑選手が獲得しています。
残念ながら、現在、2人とも、まだ東京オリンピックへの出場権は
獲得できていません。

長らく、日本男子のマラソンは世界レベルから取り残されて、
低迷していますが、是非、1億円獲得プレーヤーがどんどん輩出され、
世界の強豪に勝って欲しいものです。

瀬古さんは、絶頂期だった24歳のときに、
1980年のモスクワオリンピックへ出場すれば、
金メダルが確実と言われていたのですが、
残念ながら、西側諸国同盟の集団ボイコットにより、
出場かないませんでした。
のちのロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピックに
再起をかけましたが、メダル獲得はかないませんでした。
悲運と言うしかありませんね。

瀬古利彦さんのエピソードについて、調べてみました。。
以下の点が特に魅力的であり、市民ランナーレベルの人にとっても
大いに参考になると思いましたので、少しだけ
書き連ねてみました。

・早稲田大学~ヱスビー食品と、中村コーチと二人三脚で、
マラソンに打ち込んだ
・瀬古のレース運びは、前には出ずに先頭集団の中で位置を窺い、
終盤の爆発的なスパートにより勝利するというものだった
・ラストスパートにより、勝利するというレース展開は見ている観客を
魅了するものであり、当時のマラソン界のスーパースターだった
・先に述べたが、明治神宮外苑の周回1・3キロのコースが瀬古選手の
練習コースで、瀬古ロードと呼ばれ、マラソンファンから親しまれた
・80年代は、宗兄弟や中山選手との熾烈なライバルとの競争が
彼自身のパフォーマンスを高めた
・常に、宗兄弟に勝つ、イカンガーに勝つ、ゴメスに勝つということを
考えながら、練習をしていたという
・1978年から88年まで、13回のマラソンを走って10回優勝。
2位が1回。入賞を逃したのはオリンピックの二度だけだった

という感じでしょうか?

素質にも恵まれ、まさに、マラソンを走るために生まれてきた
ような、瀬古選手です。
まさに、マラソンの虫という感じですが、
現役引退後は、解説者として、軽快な語り口に定評があるほか、
バラエティ番組に出演した際は、結構、ひょうきんで、
お茶目なキャラクターで、皆を笑わせる面は
意外でした。

そして、現役時代の瀬古利彦さんを見習って、
私たちも、全力で、決めたものに、心血注いで打ち込みたいものです。

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