マラソンの有森裕子さんの事を知って、強いランナーになろう!

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有森裕子さんと言えば、日本の女子マラソンに
風穴を開けた人です。
バルセロナオリンピックの銀メダルに続き、
アトランタオリンピックでは
苦しみながらも、銅メダルを獲得しました。
有森さんのメダル獲得が、
のちの高橋尚子さんの
シドニーオリンピックでの金メダル獲得に
つながったと言えますよね。
指導者が同じ小出監督ですし。
あの名監督が今年、亡くなったのは残念でしたー

そして、ゴール後のインタビューでのあの言葉が出たのです。
「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、
終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースは
したくなかったし、今回はそう思っていないし……、
初めて自分で自分をほめたいと思います」
あの涙ながらのインタビューシーンは今でも
脳裏に焼き付いていますね~

ラストでのあの粘り強さに、
うーん、強い女性と皆が思ったのではないでしょうか?

今まで、長く生きて来ましたが、
なかなか自分で自分を褒めることができるほどの
頑張りは数少ないのが現実です(汗)

有森裕子さんのエピソードについて、調べてみました。。
以下の点が特に魅力的であり、市民ランナーレベルの人にとっても
大いに参考になると思いましたので、少しだけ
書き連ねてみました。

・バルセロナ五輪のレース終盤の35Km過ぎ、先頭を走っていた
ワレンティナ・エゴロワに追いつき、約6キロに及ぶ激しい死闘を繰り広げた
・バルセロナでは、競技場へ入る直前でエゴロワに引き離され、8秒差で、
金メダルは逃したが、堂々の銀メダルを獲得した
・日本女子陸上競技界では、1928年のアムステルダムオリンピック・女子800mで
同じく銀メダリストの人見絹枝以来、64年ぶりの五輪メダル獲得だった
・アトランタ五輪でも、33Km過ぎで、前回のバルセロナ五輪に続いて、エゴロワとの
激闘を繰り広げ、引き離されつつも、粘って、銅メダルを獲得した
・ゴール後のインタビューで、
「初めて自分で自分をほめたいと思います」と語っている
・「わたし革命」という著書の中で、「何も取り柄のないわたしは、人一倍努力
しないと、人並みにはなれない。それだけを考えて生きてきた。」と綴っている
・小学校5年生の時に見つけた、好きな「走ること」を中心に生きていくことが
彼女の人生を決定づけたといえる

という感じでしょうか?

まず、因縁の相手と2度もオリンピックで激闘したとは、
最近で言うと、キム・ヨナと浅田真央さんを思い出しますね。
残念ながら、いずれも負けてしまいましたが。

そして、久しぶりのメダル獲得がすごいですよね。
大河ドラマ「いだてん」にも登場した、人見絹枝さんと
同郷というのも珍しいです。

高校・大学時代に無名だったのに、オリンピックでメダル獲得まで、
頑張りつづけたのは過酷な練習の賜物です。

ストイックにトレーニングする姿は、かつてのスポ根を彷彿させ、
前世代的かと思われますが、
多くの日本人が持っている、大和魂、侍精神につながり、
共感を持つ人も多かったのではないでしょうか?
1日30キロ、月間900キロから1000キロも走ったと言われています。
そして、練習に明け暮れた故の、数々の故障。
それに打ち勝って、スタートラインに立てたこと自体も
素晴らしいのですが、
何と言っても、結果がすべてというオリンピックという大舞台で、
頑張り抜き、結果を出した点が評価されるべきですね。

有森さん自身は、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈に
憧れていたと、自伝に記しています。

現役時代の華々しい活躍の後、
目標を喪失してしまって、その後の人生が沈み込んでしまう例は
枚挙にいとまないですが、
有森さんは自身の知名度を活かして、
ハート・オブ・ゴールドや国連人口基金親善大使などで幅広く
活躍していますね。
「できる人が」「できる事を」「できるだけ 続けよう」を
合い言葉に、スポーツを通した新たな国 際協力活動を
進めています。
新たな【心の金メダル】を輝かすことをめざしての活動に、
本当に頭が下がります。
何事にも真剣に真摯に取り組む、私たち市民ランナーも
見習いたいものです。

もともと日本人はマラソンや箱根駅伝が好きな民族ですが、
少し前までは、観戦したり、応援したりするが、自分ではやらない
スポーツの1つだったと思います。
東京マラソンが2007年にスタートしましたが、
これを機に、市民ランナーがたくさん参加するようになったのでは
ないでしょうか?
現役引退を飾るレースとして、有森さんは第1回の東京マラソンに
出場し、転倒して、血だらけになりながらも、
2時間52分45秒という記録で、ゴールインしました。
あのどしゃぶりの東京マラソンでした。

現在は、ゲストランナーとして、
全国各地で飛び回って、ファンと一緒に走ったりして、草の根レベルでの
マラソンの底上げにも貢献しています。いつか私も、有森さんと走りたい
ものです。

そして、有森裕子さんを見習って、
私たちも、自分で自分を褒めることを少しでも行いたいものです。

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